一九四五年六月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時六歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。
八月九日の朝、ようやく目が覚めたころ、あのサイレンが鳴りました。
「空襲警報よ!」「今日は山までいかんば!」緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕(ごう)へ登りました。爆心地から二・四キロ地点、金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。
そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入していたのです。
私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。お隣の同級生トミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。その瞬間、キラッと光りました。その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えておりません。しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんは、そのとき何もけがもしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。
たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなる、たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。私が被爆者でなかったら、こんなことにはならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界から一刻も早くなくすことです。
そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です。
日本が戦争ができる国になり、日本の平和を武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではありませんか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。平和の保証をしてください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。
福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々が大勢おられます。小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。このような状況の中で、原発再稼働・原発輸出、行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未解決です。早急に廃炉を検討してください。
被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。小学一年生も保育園生さえも私たちの言葉をじっと聴いてくれます。この子どもたちを戦場へ送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。
長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。日本の真の平和を求めて共に歩きましょう。私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。
平成二十六年八月九日
被爆者代表 城台美弥子
東京新聞より 被爆者代表「平和への誓い」全文
原稿になかった長崎の怒り 集団的自衛権「憲法踏みにじる暴挙」
長崎は九日、被爆から六十九年の原爆の日を迎えた。長崎市の平和公園で営まれた原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、被爆者代表の城台(じょうだい)美弥子さん(75)は、集団的自衛権の行使を容認した閣議決定を「憲法を踏みにじる暴挙」と批判した。用意した原稿にはなかった表現で、「出席した政治家たちを見て、黙っていられなかった」と振り返った。安倍晋三首相は式典後、被爆者団体との面談で閣議決定の撤回を求められたが、「国民の命と幸せな暮らしを守り抜く責任がある」とかわした。広島に続いて長崎でも、被災地の思いに応えることはなかった。
「今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です」
田上富久(たうえとみひさ)市長の平和宣言に続き、「平和への誓い」を読み上げる城台さんの表情は厳しかった。
「日本国憲法を踏みにじる暴挙」のくだりは、事前に書いた原稿では「武力で国民の平和を作ると言っていませんか」となっていた。差し替えは、読み上げる直前に決意した。待機席で登壇を待っている時、来賓席に座る安倍晋三首相ら政治家たちの姿が目に入ったのがきっかけだった。
「憲法をないがしろにする政治家たちを見て、怒りがこみあげました」。式典後、やむにやまれぬ思いをぶつけた理由を打ち明けた。
一九四七年五月の憲法施行直後に発行された「あたらしい憲法のはなし」という教科書がある。城台さんは子どもの頃に読んで感動した。「憲法の素晴らしさが理解できた」。憲法を守りたい気持ちは強い。
六歳の時に爆心地から二・四キロ南東へ離れた自宅で被爆した。山が爆風と熱線を遮り、奇跡的に無傷で、家族も全員助かった。だが、同級生や友人たちは成人後にがんや心臓、脳疾患などで次々と命を落とした。
平和祈念式典に向け、遺族会メンバーから「平和への誓い」を読んでほしいと頼まれたのは昨年十二月。被爆者の中で比較的若い自分の責務と引き受け、原稿を書き進めた。
そして迎えた本番。「暴挙」の部分に続いて、「日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか」と問いかけた。これも、原稿にはないアドリブだった。
式典後の城台さんは、穏やかさを取り戻していた。「政治家の皆さんに、今日のことを少しでも覚えていてほしいという気持ちもあります」と振り返った。 (小松田健一)
◆「平和への誓い」抜粋今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。
読売新聞 夕刊 より
(管理人より)
東京新聞の記事にあるスピーチ全文と、やや動画の文字起こしが若干違いましたので、当ブログでは城台さんの言葉そのままの文字起こしを載せました。
被害に遭った当事者の声こそ大切だと思います。ここが理解できなければ、核兵器も、原発も、戦争も、公害もなくすことはできないでしょう。
「〜の平和利用」という言葉で、いのちと健康を脅かされる世の中は続いてしまうことになります。
被爆者の方の声を、今生きている人、一人一人がきちんと受け止めなければいけないのに、ツイッターで市民の反応を検索してみると、驚くようなツイートがあります。
https://twitter.com/search?f=realtime&q=%E5%9F%8E%E5%8F%B0%E7%BE%8E%E5%BC%A5%E5%AD%90&src=typd
被曝者の方のスピーチを冒涜する一般市民がいることに驚き、人間というものに心底嫌気がさしました。(軍需産業=原発産業)の利害関係者かもしれないと思いました。
そんな論調はおかしいと声を上げなければ・・・・被爆者の苦しみがなかったことになってしまいます。
The only thing necessary for the triumph of evil is for good men to do nothing エドマンド・バーク
悪が勝利するために必要な唯一のことは、善人が何もしないことだ
悪が栄えるために必要なのは、善人が何もしないことである。