3.11関連のいろいろなイベントが各地で行われています。私はあえて参加せず、3.11から2年たった今本当に聞くべきことは何かを考えていました。そしてこのブログ記事にしました。
3/9に行われた北九州での「さよなら原発集会での、福島県からの避難者の女性のスピーチです。
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/65788 より
4/5の(1:24から)文字おこしを転載します。(太字強調は管理人)
福島から自主避難して約1年経ちました。子供達の健康を願って、理解しない夫を捨て、年老いた両親を捨て、それまでの職業や暮らしを捨て、背水の陣で選んだ避難先の北九州で昨年9月より放射性物質を含むガレキを2.3kmの所で焼かれました。
さて、私が出来る事は事実を述べる事だけです。
ガレキ説明会の開示文書から、普通、市民は知らない広域ガレキ受け入れの事実と少々私の主観を話します。
市議会の全会派一致でガレキ賛成になったのが、3/12。
11日後の3/23から北九州市は、各区で少人数の説明会という名の《説得会》を始めました。
特に重要な自治会にはお一人様ずつの《説得会》を経て、5/21試験焼却前に抑えるべき全ての団体、個人相手におよそ1000人の《説得会》を終了しております。
続くタウンミーティング、各区での地元説明会は、たまたま訪れた市民に、ガレキ反対派の過激な姿をみせるためのショーになってしまいました。
あの時、必死で反対していた人達の純粋は気持ちを行政に利用されてしまいました。
結局、漁協からの《正式な反対声明文はなく》、公害防止協定書もない=反対する権利など認められていない事を知らない私達を嘲笑うように、タウンミーティングまでに52回、1500人へ説明会を終え、市長は自信たっぷり、市民の賛成の声多しとガレキ受け入れに突き進んだのでした
3月でガレキ受け入れは終了しますが、何も変わっていません。
石巻のガレキに農薬が散布されているが、測定されていないことも、今、流行りのPM2.5は中国由来と大キャンペーンが展開されてますが、北九州で以前からPM2.5が238μg/㎥出ていた事も、組成分析すれば、どこの煙突から出たPMか詳しくわかることも、
それを要求しても市は回答すらしないことも、原発が日本に合わないことも、
電気は足りてることも、私達が見てる世界は、実は見せられているということも、
自分で考え、自分で動く事を放棄した人には、何も見えません。
フクシマが安全である、フクシマの復興と皆さん言いますが、3月のこの春休み、40才の若さで亡くなった私の従兄弟、70代の叔父、40代の友人のお墓参りに帰ります。
私と子供達は、甲状腺に異常があっても、「フクイチ事故由来と考え難い、遺伝の可能性もある」と言われ、病気が発症しない事を祈る事しか出来ません。フクシマで子供達を被曝させてしまったのは、人任せにして自分が考える努力を怠ったからです。
ガレキの焼却も残り僅かです。次は放射性物質の埋め立てです。
私は、森の防潮堤も個人的に反対です。何故なら福島の除染に繋がるからです。
同じように、保養も個人的に反対です。何故なら福島に人を閉じ込める事に繋がるからです。
何故、福島県を徹底的に測定し、100年以上住めない場所に廃棄物を置くと決めなかったのか。
汚染の事実と、住み続けるリスクを示し、十分に補償した上で選ばせれば、
戻れないと理解し、汚染を拡散しない命を優先した復興となる。
中途半端な除染ではなく、イベントではなく、時間のかかる事ではなく、今すぐ、測定、補償、リスクを伝えることの《要求》を皆様もして下さる事が、
私達、普通のフクシマの母親の願いです。
国が私達を騙すなら、私はもっと勉強して、騙されない努力をします。
国が私達を救わないなら、私は事実を伝え、真っ当な要求をしていくための知識を得る努力をします。
皆が目をさまさないなら、私は、勇気を出して対話をします。
事実を知らない方々に働きかける努力をします。
本当の繋がりとは、
トップの言う通りにするのではなく、
一人一人が自分で考え、動き、わからないことや一人で出来ない事を成し遂げる時に、事実の共有を基本に教え合うことだと思っています。一人一人がトップの自覚を持った時、少しだけ日本が変わるきっかけになるかも知れません。
私は、ただその中の一人になれるように努力を続けます。