ブログ読者の皆様。管理人は体調の悪い日々が続いていまして、ブログを更新するのがしんどいので、よかったらツイッターを追ってもらったら助かります。
辺野古の問題が騒がれていますが、米軍再編による問題はそこだけではありません。
射撃訓練の米軍が大分入り NHK大分
日出生台演習場で実弾射撃訓練を行う在日アメリカ軍の本隊が24日、基地のある沖縄から大分空港を経由して演習場に入りました。
大分県にある陸上自衛隊の日出生台演習場ではアメリカ軍が駐留する沖縄の負担軽減のため、平成11年以降、アメリカ海兵隊の実弾射撃訓練が行われています。今回の訓練は3年ぶり10回目となります。アメリカ海兵隊は23日に到着したおよそ20人の先発隊に続いて、24日午後、本隊のおよそ50人が大分に入りました。本隊は、沖縄の嘉手納基地から民間のチャーター機で移動し、正午すぎに大分空港に到着しました。隊員たちは飛行機を降りると、バスに乗り換えて日出生台演習場へ向かいました。由布市湯布院町にある演習場の入り口には、訓練に反対するグループや労働組合の関係者が集まり、バスが到着すると、抗議の声を上げていました。九州防衛局によりますと、今回の訓練のアメリカ軍の参加者はおよそ200人で、前回の訓練とほぼ同じ規模となっています。訓練の日程は来月2日から13日までで、このうちの10日間は「155ミリりゅう弾砲」と呼ばれる大砲などを使った射撃訓練が実施される予定です。
02月24日 19時38分
在沖縄米軍の日出生台実弾射撃訓練 小中高生らタクシー通学始まる [大分県]
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/oita/article/147504
実弾射撃訓練のため在沖縄米海兵隊の先発隊が陸上自衛隊日出生台演習場に入った23日、玖珠町は同演習場近くの小中高生らのタクシーによる登校、下校時の送迎を始めた。来月22日まで続ける。
児童、生徒らの安全確保のため実弾訓練時には毎回実施している。対象は保育園児3人、小学生8人、中学生8人、高校生2人の計21人。登下校時各4便で送迎する。家族による送迎を希望する世帯には自動車の燃料費支給を今回から始め、11世帯に支給している。
日出生南部地区では23日早朝、小中学生が2~3人ずつ自宅近くの集合場所に集まり、やや緊張した表情でタクシーに乗り込んでいた。小学6年の子供がいる母親(53)は「実弾訓練が始まるとやはり不安になる。何事もなく終わってくれれば」と話していた。
玖珠町は同日、同演習場近くの日出生南部コミュニティーセンターに現地対策本部を設置。訓練期間中、職員による巡回パトロールなどを実施する。
=2015/02/24付 西日本新聞朝刊=
大分県に米軍がやってきて日出生台で自衛隊と一緒に実弾射撃訓練を行っています。
http://www.oita-press.co.jp/1010000000/2015/02/23/133515594
大分合同新聞をみると 「りゅう弾砲6門、車両は約60台。期間中、小銃や機関銃を使った訓練や夜間訓練もある見込み」とあります。ということは完全に人を殺す訓練です。
周辺に住む子どもたちが、実弾が飛んでくるかもしれないところを通学するのに、タクシーや自家用車だったら安全なんでしょうか?
大砲の弾があたって無事なタクシーはありません。流れ弾が当たらないという保証はどこにもありません。
周辺の子どもたちはタクシー代を自治体から出してもらえるからといって、泣き寝入りさせられているんです。こんな危険な軍事演習を周辺住民は押し付けられている実態。
防衛省・自衛隊の駐屯地と基地の一覧地図 http://japonyol.net/jsdf.html をご覧下さい。
日本列島中に自衛隊の駐屯地があり、福岡・大分に多いことに注目。
大分の温泉行くと必ず、山の中の道で自衛隊などの車両とすれ違います。中に何を積んでるかわかりません。温泉がたくさんあって観光地なのに・・・・温泉に行くたびにいつも恐ろしいと感じます。
日出生台は日本陸軍の時代から演習地だったようです。
http://www.jca.apc.org/~uratchan/localnet/hijudaienkaku.html より
■日出生台は、九州横断自動車道大分長崎線沿いに広がる日本でも有数の自然に恵まれた高原地帯。この中央部を東西15キロ、南北5キロ、総面積は約4900ヘクタールの西日本最大の演習場。現在、日出生台演習場では、一年間に330日(うち実弾演習は230日)とほぼ年中無休で演習が行われている。
■かつて日出生台は、江戸時代から交通の要衝だった。現在の演習場の真ん中あたりを日田から別府、大分への道路が走り、今宿、車谷、中須などの宿場を参勤交代の大名たちが利用した。
旧日本軍に接収された明治32年当時、演習場内に約百戸の農家と150ヘクタールの田畑があったが、すべて演習場の外に立ち退かされ、以降演習場が拡大する度に、二度三度と立ち退き、移転を繰り返し、やむなく生まれ故郷を去った人も多い。
■その後日出生台では、敗戦による旧日本軍の解体とともに、400戸もの開拓農民が入植を始めるなど、人々は「演習場はなくなるのでは」と喜んだ。しかし、昭和21年、米軍が日出生台を接収、開拓農民は半強制的に立ち退きとなった。
米軍駐留時代は「悪夢の時代」だったという。「演習または発砲による、土地、家屋、穀物並びに家畜に損害が発生した場合に、占領軍はその責任を負わないことを明瞭に承知すべし」との米軍通達が、当時の状況を一言で示している。
■米軍駐留時代、日出生台演習場内には16000人の米兵と4000人の韓国兵、700人の売春婦が常駐したという。当時、米兵による女性に対する暴行事件が相次ぎ、人々は女性を疎開避難させ、一時は地域から女性が一人もいなくなるという事態にまでなった。当時の状況を克明に覚えている高齢者も多い。
■日米両政府は、1996年、米軍が沖縄のキャンプハンセンで行っていた県道104号線越え実弾砲撃演習を1997年度より本土5ヶ所(北海道矢臼別、宮城県王城寺原、静岡県東富士、山梨県北富士、大分県日出生台)に移転することを決定した。
「沖縄の痛みの分散」を名目に実施された米軍演習の本土移転であったが、沖縄キャンプハンセンでは、県道を封鎖しての演習はなくなったものの、その他の演習が激化し、演習による山火事は以前より増えた。移転された本土各地での米軍演習も年々拡大強化されている。
耶馬溪には第二次世界大戦時、戦闘機が墜落しています。
大分県中津市HP 耶馬溪 戦争の追憶 より
http://www.city-nakatsu.jp/docs/201108300202/…
「その時の目撃者の一人、岩尾フサ子さんの「手記」と「聞き取り」から、平和への願いを込めてこの紙芝居を作りました」
中津市の市長は防衛庁出身。その前は原子力ムラ。そして副市長は防衛庁から出向しています。
自治体に迷惑施設や、国策をゴリ押しする場合、やりやすいように中央から来るんですね・・・ε=(・д・`*)ハァ…
中津市:副市長に防衛省の須藤氏 /大分
http://mainichi.jp/area/oita/news/20141220ddlk44010600000c.html
毎日新聞 2014年12月20日 地方版
空席になっていた副市長に1月5日付で須藤彰氏(40)が就任する。市議会12月定例会最終日の19日、人事案に同意した。須藤氏は埼玉県和光市出身、東大卒。1998年に防衛庁(現防衛省)に入庁し、同省防衛研究所企画調整課長補佐などを歴任した。
中津市長 新貝正勝氏のプロフィール http://www.city-nakatsu.jp/mayor/mayor_etc/2013062800011/
■履歴
昭和41(1966)年4月 住友銀行入行
昭和45(1970)年4月 防衛庁入庁
昭和50(1975)年4月 防衛庁部員
昭和59(1984)年11月 防衛庁長官 秘書官
昭和61(1986)年11月 調達実施本部契約第3課長
昭和62(1987)年11月 装備局通信課長
平成2(1990)年7月 人事局人事第3課長
平成4(1992)年6月 施設庁総務部総務課長
平成6(1994)年7月 人事局人事第1課長
平成7(1995)年6月 仙台施設局長
平成8(1996)年7月 総理府国際平和協力本部事務局次長
平成10(1998)年6月 施設庁総務部長
平成10(1998)年11月 長官官房防衛審議官(兼)情報本部副本部長
平成11(1999)年7月 人事教育局長
平成12(2000)年6月 防衛研究所長
平成14(2002)年8月 契約本部長
平成15(2003)年5月 防衛庁自主退官
平成15(2003)年11月17日 中津市長就任
平成19(2007)年11月17日 中津市長就任(2期目)
平成23(2011)年11月17日 中津市長就任(3期目)
米軍再編でこれからどんどん日本中に米軍の基地が拡大されていきます。
大分の築城でも米軍との訓練が行われていますし、岩国といったりきたりもするでしょう。
九州だけの話ではありません。
今、日本に住む人たちすべての命と環境が脅かされているということを、情報を精査し共有していかなければならないと思います。
地域のどうでもいいニュースに埋もれさせて、重要な情報が全国に伝わっていないのです。
実にメディアはいやらしい。
辺野古に注目させといて九州山口に米軍が入り込んでいることを大きくは伝えていない・・
http://www.mod.go.jp/j/approach/zaibeigun/saihen/sintyoku.html