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Channel: ブログ「風の谷」  再エネは原発体制を補完する新利権構造
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表向きの大義名分だけで見ては本当のことを見失い知らぬまに私達は共に加害者となり犠牲者となってしまう

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(管理人より)

いま日本では戦争をする準備が着々と進められています。福島原発事故も収束できず、放射性物質はダダ漏れのレベル7を超える放射能汚染国になっているのに、高濃度汚染地域では再生可能エネルギーが復興の柱となり、住民は被曝させられ続けています。

私は自分が子どもを産んだ時から日本を戦争する国にだけはしてはいけないと思って生きてきました。原発事故後も一人の市民として、原発を無くし、放射性物質を集中管理させる運動を微力ながら全力でしてきました。にもかかわらずこのような状況となってしまいました。

このような理不尽な日本の状況を、原発推進派や、被曝に関して無視する左翼勢力を批判することだけで解決できるとは私は思っていません。

そこで今日は、山田征さんが原発事故前の2001年に書かれた文章を、いくつかにわけてご紹介したいと思います。

この文章が書かれたのは2001年のアメリカ同時多発テロ事件の後。大変示唆に富んだ山田征さんの文章です。

 

【山田征さんプロフィール】 

東京都三鷹市井口のヤドカリハウスを拠点に活躍中!『菜の花の会』を主催

1938年生まれ。40年以上前から「市民の立場」で原発反対の活動をすると同時に、沖縄県石垣島白保の空港建設反対、ホームレス支援、神戸の仮設住宅に暮らす人々への支援、フィリピン・スモーキーマウンテンの子どもたちへの支援、内モンゴル植林、イラクやパレスチナ・ガザへの支援等、多様な活動を行う。 

現在、“原発に代わる”として進められている「自然エネルギー」について、一人ひとりが大きな流れの中で立ち止まり考えるべき問題である、と全国で伝え続けている。

『山田さんのひとりNGO』、『ただの主婦にできたこと』ほか著書多数。 

山田さんのひとりNGO―「ニライカナイ・ユー通信」 山田 征 現代書館

http://hikoki.fc2web.com/nirai.html より転載

 

テロにやられたアメリカ、とアメリカによる報復テロ行為を思う…                  山田 征

アメリカでのあのテロ事件が起きてから、早いものでもうひと月以上になってしまいました。あれ以来、心の落ち着かない毎日が過ぎていきます。ことに今月七日、アメリカによる"報復テロ"、とでも呼びたいような報復行為が始まってからは、何か腹がたつ、というよりは、とても空しく心がカラカラに乾いていくような気がしてなりません。

 あの第二次世界大戦が無条件降伏、という形で終わりとなりましたが、日本人の犠牲者だけでも数百万人、巻き込んでしまった多くの国の人々のその数は、二千万人を越すといわれます。そんなにも沢山の人々の生命を奪い、人生を狂わせてしまった戦い、戦争というものがやっと終わって五十数年、その戦争に狩り出され、戦場に出て生き残った人々もすでに年をとり、亡くなってしまった人の数はどれほどになるでしょうか。

そしてその頃まだほんの子供だった私なども、もうすでに六十才を越しました。あの頃の記憶もはるかに遠のきつつあります。そしていわゆる、"戦争を知らない世代"といわれる人々が社会の中心的存在となり、一年また一年と年を重ねる毎にそれらの人々もまた、第一線から押し出され世代交替となりつつあります。日本が、人と人が公然と殺し合うことをやめてから五十六年余の年月を経た、ということは、どんなに素晴らしいことだったことかと、心から思わずにはいられません。でもいま、その状況がガラリと変わろうとしていることに、私は心底悲しく、怯えてしまいます。

 日本がそのようにして人の殺し合いをやめていた間も、世界の各地では絶えまなく戦火が続き、沢山沢山の人々が犠牲になってきたこともまた事実です。しかし、どう思われるでしょうか。そのようにして亡くなっていった人々は、その人自身、戦うことを欲したのでしょうか?ほんとうに戦争を欲しがる人々は、いつの時代もいつの時でも、いつもいちばん安全地帯にいて、亡くなる人々の痛みも苦しさも哀しみも何も知らずに、何も知ろうともせず、感じようともせず、その時その時の戦果のみに一喜一憂していたのではないかと思います。

今度のことも私には全く同じように思えてなりません。今度の報復テロ行為でいちばん得をする人、喜ぶ人は誰でしょうか?表向きは一部の過激者による残虐なテロ行為、という形をとってはいますが、その陰のまたその陰に、ほんとうにほくそ笑んでいる一握りの人々がいることを私は思わずにはいられません。戦いがあればあるほど、長びけば長びくほど喜び得をする人々が、どの戦さの時にも在ったのだと思います。

私はタリバンのことはよく知りませんし、このようなテロがいいなどとは全く思いもしませんが、ありとあらゆる武器を大量に、しかも大っぴらに使うことの出来るこのような絶好のチャンスを、心から待ち望んだ影なる人々がいることを信じて疑いません。

 いま日本も、これまでのあらゆるものをかなぐり捨て、そのおぞましい報復テロの戦火に身を投じようとしています。なんとバカな、愚かなことか…、と心から思うのです。ほんとうに戦場に行くのはいったい誰でしょうか?参戦することをいち早く決めてしまったそれぞれの国の指導者たち、その息子たちはいまどこで何をしているのでしょうか?

「多少の犠牲は仕方がない」というのなら、まず言った本人やその息子たちが戦場の第一線に立てばいいのです。ひとつの就職先として選び、自衛隊員になった若者もきっと多いはずです。その若者達はいったいどんな思いで、首相の言葉を聞いたでしょうか。若い人達、もう二度と再び殺し合いの場に出かけて、命を散らすのはやめてほしい。心からそう思います。

 私は自分の孫たちのことも思います。男の子と女の子と二人ずつ、四人の孫たちです。この子達に二度と再び、私が幼かったころのような思いをさせたくはありません。この子たちが大人になった時にももちろん同じです。エゴと言われてもいいのです。そんな社会であってほしくないと思います。

そんな思いを抱き続けたからこそ、この数十年をほんとうに沢山の出来ごと、活動にかかわり続けてきたと思います。そんな社会になりませんように、人が人にだけではなく、他の多くの生きもの達の生命も、ただ無節操に殺めることがありませんようにと、一生懸命動いてきました。それがいま、なんとあっけなく、ガラガラ崩れ去っていくのでしょうか…。

 この数年、いえもっと長い年月、さまざまな国々に出かけていき、そこに住むほんとに沢山の貧しい人々の暮らしを見てきました。そこにある大きな格差、貧富の差をみるにつけ、いったいこれはどこからくるのか、生れるものかと思い続けてきました。ほんとうに人が人らしく、そして自然の中の一部、一員として、心を尽くし節度ある生活、生き方を選んでいたならば、決してこんなことにはならないでしょうにと、ことあるごとに思います。

この地上には、さまざまに宗教的な教えを基盤にする国々も多い中で、なんと絶えまなく、人は人を殺し続けてきたことでしょうか。アメリカ大統領などはその就任式の時、聖書に手を置き、誓いをたてます。いったい宗教というものは何の役割を果たすものなのか、と思うことがよくあります。人の歴史は争いの歴史、殺戮の歴史、そう言ってしまってもおかしくないようです。

いまこの地上で、そのような殺戮兵器をいちばん多く研究し開発し製造し、世界に売りまくってきたのがアメリカ、という国ではありませんか。つい最近もアメリカは、その"武器産業"を我が国の基幹産業であると公言し、国連での大量殺戮兵器縮小を決議する会議の場からも、「我が国の経済が冷えこむ」と言って抜けてしまったというわけです。

生物兵器、化学兵器、核兵器、そしてまだ世界各地の土の中に埋められている"地雷"という恐ろしい兵器も、いちばん多く開発し製造し販売しているのがアメリカです。過去になされた、例えば広島、長崎に落とされた原爆の時もそうでした。ベトナムでの枯葉剤、イラクやユーゴへの劣化ウラン弾やその他のあらゆる兵器、自国の兵士まで実験の場に晒しながら研究開発し、そしてまた戦場で実際に使用し実力を試し、の繰り返しではありませんか。

こんなこともう沢山だ!!とは思わないでしょうか。武器産業にとって、戦場はまたとない市場であり消費地です。表向きの大義名分だけで見ていては、本当のことを見失い、知らぬまに私達は共に加害者となり、犠牲者となってしまいます。

 私はこの国に、そしてこの地上に生れてきた自分のまだ幼い孫たち、そして地上のありとあらゆる国々、地域の人々、ことに子供たちのことを思わずにはいられません。平和ぼけでもなんでもいいではありませんか。どうぞもう戦いのない国、地上となりますようにと、心から願い祈らずにはいられません。地上にはあまりに理不尽なことが多すぎます。あまりに不公平で悲しいことが多すぎると思うのです。そして人々はあらゆることにあまりに無関心すぎるのではないでしょうか?

ですから一旦、こうした世にもギョッとする出来ごと、事件が起きた時、その背景、裏がわにある本当のいきさつ原因を見ることもなく、眼に見える映像と流されるニュースだけでの一方的な判断になってしまうのだと思います。つまりそのことこそが、"平和ボケ"、と呼ぶにふさわしいことではないでしょうか?

世界中に満ち溢れている苦しみと悲しみ、そのあげくに辿りつく怒りの感情が形になった時、あのような映像として人々の眼に飛びこんでくるのではないかと、私は思います。でも今、私は、それをどうすることも出来ない、空しさと哀しみに苛まれてしまいます。ほんとうの解決とは、いったいどこにあるのでしょうか。

もう私達は充分すぎるほど文明を謳歌したのではないでしょうか。これ以上のものを欲しがり期待するのはやめにしませんか。いまこそ私達は、いまある文明をもう一度見直し振り返り、他の人々、他の生きもの達のことなども思いやる心のゆとりをとり戻さなければ、今度の戦火のせいだけではなく、私達の生活、生き方、考えのあらゆる在り方の故に、自らの生命、自らの生命の星地球を滅ぼし、死の世界にしてしまうことになりかねないと思います。

私達の歴史の中では、昔からさまざまな予言的なことがらが語られてきました。それが今でもあるかどうかは別としても、今は、これまでの人の歴史始まって以来の大きな危機の前に立っていると思わざるを得ません。水中生物の中では、もう既にたくさんの生き物たちのメス化が始まり、拡大し、生命の連鎖もたち切られつつあります。また天空をみれば、ラピュタの城ならぬ巨大なオゾンホールが口を開け、これまで閉ざされていたさまざまな有害物質が地上に注がれているわけです。(※)

これらは全て私達文明社会に生きる一人一人の責任である、と思うのです。眼にさだかに見えない生物世界の中に、静かに音もなく、確実に広がりつつある死の世界のことを思う時、もうこんな報復騒ぎはやめにして、再び新しい生命の芽生え、生命の連鎖をとり戻すことを真剣に考えなくてはならないのでは、と思います。でもあの人達は、戦火にまみれ核汚染しつくした地球を捨て、宇宙ステーションの中で暮らせばいい、と思っているのかもしれません。

 この地上での人としての長い歴史の中で、人は本当に進化してきたのでしょうか?物的に、科学的に進化した分、精神面ではむしろ退化してしまったようにも思えます。子供のやったやられたの世界のままに、大の大人達がよってたかってチャンバラごっこをやっています。どうぞもうこのようなこと終わりになりますように…。

生命の重さ、軽さ?

 先月九月三十日のことでした。"風の船"、というNGOによるチャリティコンサートが近くの武蔵野公会堂でありました。キム・シンさんという方のシンセサイザーの演奏でしたが、チャリティの目的は、心ならずもHIVに感染してしまったネパールの女性や子供たち、そして信じがたいほど大変な状況下に置かれたペルーの子供たちの為のものでした。

 HIVに感染した人々は、いま世界各地にくまなく広がり、正確にその数を知ることは出来ないだろうと思います。日本でも製薬会社や、元厚生省などの全くの経済優先による生命を軽視した在り方の中で、沢山の血友病の方々が、ならなくても良かったはずの病原菌を取り込み感染し、発病し、亡くなられていく、といった痛ましい事件が起き、本質的なことが何も解決されないままここに至っています。

そして世界各地のとても貧しい国々では、富める国々からの買春ツアーなどが起因し、もうどうにも手のほどこしようのない状態で野火のように広がり、蔓延しつくしているといってもいいのかと思います。そしてそれは大人だけではなく、HIVの広がりと共に買春対象はどんどん低年齢化していき、それに伴い感染者も低年齢化し、留まるところを知りません。もちろん生まれながらすでに感染している、という赤ちゃんの存在も多くあります。

 ネパールに話を戻しますと、いま若い女性や幼い子供たちが沢山誘拐されてしまうそうです。そして、女性たちは売春婦に、そして男の子たちは内臓を抜き取られて放置される。もちろん生命は失われます。抜き取られた内臓は、お金があり医療の進んだ先進国へと送られます。そして「内臓移植」という商売が成りたつ、というわけです。その日のコンサートの収益金は、そうした子供たちや女性のために新設された"母の家"、という施設に送られるとのことでした。

ところが同じその日のことです。このヤドカリに戻り、ふと広げた新聞の中に、"「最後のチャンスにかけたい」肝移植で渡米○○さん"という若い女性の写真入りの記事があり、思わずギョッとしてしまいました。アメリカで内臓移植を受けるには滞在費なども含め、約七千万円ほどかかるとのこと、毎週街頭募金などして約六千八百万円が集り、渡米し手術を受けることになったという内容のものです。

 ついでに記しますと、内臓移植については次のような話もあります。日本ではまさかそういうことはないのでしょうが、アジアのいろんな国々では、服役する死刑囚が内臓提供を承諾しますと、その日から食事その他の待遇がとても良くなるそうです。まるでホアグラのような話ですが、とにかくいい健康状態になったとき刑の執行がなされ、移植を待つ人々の体内に移されていく、というのです。もちろんそれは、お金のある国と人々のところへですが、そのような死因の内臓を形成する細胞は、いったいどんな記憶を持ってその後の人生を生きるのか、と思います。

それほどに人の生命、"生きる"ということが大切であるならば、それは地上にある全ての"生命"に対しても同じように考えるべきことがらではないでしょうか。片や、さらわれ、内臓を抜き取られて死亡する者あり、片や、数千万円かけて救われる生命あり…。同じ生命でもなんたる違いか、と言葉を失います。それこそ生命の軽さ重さ、富める国と貧しい国との大きな格差、こんなところからもテロの原因は生まれ出るのかもしれません。

白い"不戦のリボン"を作りました。

 私は今度の報復行為に対して何とか意志表示したいと考えた末、ある若者の書いた投書にヒントを得て、とても簡単な白いリボンを作りました。白いリボンは"平和の徽"という人もいますが、私は"不戦のリボン"と名付けました。"平和"という言葉は、"平和の戦い"とか"核の平和利用"などと、とても都合よく使われてしまいます。そうではなくもっとはっきりと、"もうこれ以上戦い、殺し合うのはやめましょう"の思いをこめました。このリボンはいろんな方々に送り続けていますが、何人かの国会議員の方にも送りました。

その中で衆議院の川田悦子さんからは、「さっそく秘書と共にこのリボンをつけて行動しています」という礼状をもらいました。今日、衆議院の中村敦夫さんからも同じような内容のハガキが届きました。小さな試み、小さな意志表示ですが、もしつけてみよう、と思われる方がありましたら御連絡下さい。送らせていただきます。もちろん誰方にも簡単に作れます。

 最後になりましたが、この度アメリカで亡くなられた沢山の方々、そして新たにアフガニスタン国内で殺戮されつつある多くの犠牲者の方々の御冥福を、心からお祈り致します。この地上に再び生まれ変わる時があるならば、もっともっと良い人生でありますように…。


 (※)オゾンホールに関して上の記述は誤りでありますので、参考のURLを貼っておきます。

 

オゾンホールに関する誤った認識・・・  近藤邦明

フロンは魔女ではない  名城大学 槌田 敦 (物理学会、環境物理、2005.9.22) 

 

 

 

 



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