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市川定夫埼玉大学名誉教授の講演録「低線量被曝の影響と JCO事故健康被害」を読む①

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http://pfx225.blog46.fc2.com/blog-entry-2145.html より 引用 かんそいも通信

学習集会  2003.8.25 臨界事故被害者の裁判を支援する会


低線量被曝の影響と JCO事故健康被害      講師:市川定夫・埼玉大学名誉教授 


講演録(1)

はじめに

司会者
 大泉さんのJCO事故の健康被害裁判は、去年の9月に提訴され、11月から公判が始まり4回を終えたところです。JCO事故における低線量被曝の問題は、この裁判のひとつのテーマであり、その辺のところを勉強する必要から、この勉強会が企画されました。平日の5時半からなので、人がたくさん来てもらうには少し具合が悪いなと考えたんですが、とりあえず、内部的な勉強会ということで、こういう時間帯で設定しました。

 これから1時間半ほど先生のお話をいただいて、そのあと質疑をしまして、8時過ぎぐらいには終わりたいというふうに考えています。最初に、この会を企画した「裁判を支援する会」の代表である藤井学昭さんに簡単な挨拶をお願いいたします。

藤井
 藤井です。代表といわれましたけれども、なかなか難しい内部事情もあります。とにかく大泉さんが声をあげたということ、声をあげていただいたということが、ほんとにどれほど厳しく、そして苦しい現実があるかと。そして声をただ単に出すということではなく、それを裁判という形できっちり、「9月30日」をあらわにしていくということの困難さを、ともに感じながら支えていきたいなと思っております。

 ともかく、あの事故以後、行政、国の方は「なんでもない」と言うだけです。その根拠というものを示そうともしませんし、また我々もそれがどういうことなのかというのが全くわからない。そして、もう日本という国の無責任さと無関心という言葉を、ほんとにつくづく感じております。

 最近では、神栖の日本軍による毒ガスですね。ああいうことが、まったくこの時代や、この年月が過ぎてきていることを考えたときに、ほんとに今、声をあげるということが、まさに歴史を、時代の責任を追っていく、そういう裁判かなということを感じております。

 そういう意味では、私たちがいちばん知らなければならない、学ばなければならないということのひとつとしての本日の講演会ですので、よろしくお願いいたします。

司会者
 それじゃ、早速先生のお話を伺いたいと思うんですが、先生のプロフィールについてはすでにお配りしているビラ等に書いてあるとおりで、放射線遺伝学を専攻とされていて、様々な業績をお持ちです。特にムラサキツユクサを通して低線量の被曝調査というものについて世界的な権威をお持ちの先生であります。
 JCOにおける低線量被曝の問題というのは、非常に重要な問題なので、そこのところに重点を絞って今日は話をいただきたいと思っております。それでは、時間もないので早速始まらせていただきます。よろしくお願いします。


講演録(2) 

東海村との関わり

 ご紹介いただいた市川です。私が初めて東海村に来たのは、昭和33年、1958年です。それは京大の学部を卒業して大学院に進んだ年で、東海村にできたJRR1という実験用の原子炉を使った共同利用というのに関わったことなんですけれども。生物実験には昭和33年から予算がつきまして、それで来てやりだして、そのあと1965年、7年後に京大で博士号をとって、アメリカのブルックヘブン国立原子力研究所というとこに行くまでは、毎年東海村に来てたんです。

 そのころは上野から汽車で来ますね。悠長だったのに、今日はスーパー日立に乗って、スピードがぜんぜん違うんでビックリしたんですけども。とにかく、そうしてここで一番長いときは、村松にある寮に1ヶ月以上滞在したこともあります。ただそのとき驚いたのが、結核の療養所がすぐ隣りにあるということでした。何でこんなところに作ったんだろうと。しかし、そのころ僕は原子力にさほど興味をもってなくて、ただ、生物学者ですけど習っている物理学とか、そういう知識から考えて、相当制御しないとダメだろうと思いました。

 それから知識として持っていたのは、ここで99年の9月30日に起こった臨界事故と同じことが、核技術の開発の初期に何回かアメリカやソ連で起こっていたことは書物で知っていました。だから、そういうことが日本の原子力開発の初期にも起こるんじゃないかという心配は持っていました。

 それから茨城県を越して、アメリカの国立研究所の研究員となり、ムラサキツユクサという優れた実験材料に出会いました。東海村でも実験を行われた植田さんがそこにいらっしゃいますが、その時も度々実験の指導だとか、その結果の説明だとか、得られた実験データの分析の説明だとかにも来ました。

NASAでムラサキツユクサの生物衛星実験

 アメリカにいる時にムラサキツユクサを見つけたんですが、やがて、現在でもまだ使われていますが、働く人の許容線量の20分の1まで下げても、これだけ突然変異が起こるということをムラサキツユクサで実験的に証明したところ、アメリカの原子力委員会から公表禁止という措置を受けました。僕は、その直前からNASA、アメリカの航空宇宙局からムラサキツユクサの実験をしないかと誘われていたので、それに参加したんです。

 それはなぜかと言いますと、ムラサキツユクサというのは、花に6本のおしべがあって、そのおしべにはたくさんの毛が生えてるんですけども、一本一本の毛は25細胞から30細胞ぐらいの細胞が一列に並んでるんです。一列にまっすぐ並んでいる。ということは、おしべの毛が細胞分裂するたびに、いつも同じ方向に分裂してるということを示しているわけです。NASAはそこに注目したわけです。

 そういう、細胞が一列に並んでる生物系というのは非常に少なくて、例えば藻の仲間とか、そんなのでいくつかはありますけど、それを培養して宇宙で実験するのは難しいのです。培養液を植物用に入れ替えたところに、開花直前のムラサキツユクサの枝をさして、それで宇宙で実験できるだろうということで誘われたわけです。

 それで、生物衛星という、最初の生物実験をやった衛星なんですが、その生物衛生実験でやった結果、地上に帰ってきたムラサキツユクサのおしべの毛は直線になっていませんでした。あっちへ曲がったり、こっちへ曲がったり、枝分かれしたり、つまり前回の分裂と同じ方向を維持することができない。つまり、地上に1Gという大きさの重力がコンスタントに、いつも一定の重力がある地上と違って、無重力になると細胞分裂の方向が乱れる。我々の体の中にも細胞分裂の方向が決まっているものがあります。心臓なんかを作っている筋肉がそうです。いつも同じ方向に細胞分裂しています。そういうことで無重力は危険だという報告書を書いたら、今度はNASAにより、それも発表禁止になりました。

大宮のガンマフィールド施設での実験

 2つのことを続けざまに、ひと月の間に2回経験して、私はアメリカの国立研究所で研究するのを断念しまして、ちょうど京都大学で助手として帰って来いという話があったものですから、帰る決心をしました。ただし、その頃1月36万円、1千ドルだったんですが、その頃360円のレートですから、36万円の月給をもらってたのが、京大に帰って初任給をもらったのが36,800円だったんですよ。

 その他、例えば湯水のごとくガソリンを使う5,400CCの8気筒の車に平気で乗ってたんですが、日本に帰って来て買えたのが360CCの軽自動車だったり、いろんな変化があったんです。

 それでも日本に帰ってきて、今度はがんばって、やっぱりそれと同じ証明をもう1回やり直そうとしました。それで来たのが、ここの常陸大宮の農林水産省のガンマフィールド。そこで、来る年も来る年も、何回も何回も実験を繰り返しました。僕は67年に京大に帰って来たんですが、ブルックヘブンに行ったのが 65年で、2年で帰ってきたんです。

 そういう経緯を経て、帰ってからずっとガンマフィールドで何年間か続けて、そして1970年に初めて許容線量の7分の1でも、これだけ突然変異が起こって、しかも線量と突然変異の発生率はきれいな比例関係になっているということを英語での論文で発表しました。口頭で発表したのは70年ですが、71年に英語の論文で発表しました。

 そういうのが出てしまうと、アメリカ側で1966年から67年にかけて出したデータの公表禁止というのは無意味になってしまって、アメリカでのデータもその後許可が出まして、72年に発表されました。その72年の論文を出したことによって、許容線量の20分の1でもこれだけ突然変異が起こって、それ以上ではずっと線量と比例関係になるということが証明されました。

放射線の「しきい値説」を否定

 その実験はそれまで言われてた放射線の「しきい値説」、今でもJCOの事故が起こったあとでも、ある量の被曝がないと影響は出ないんだ、なんていうことを言ってますが、そういうのを「しきい値説」といいます。敷居が高くて家に帰れないという「敷居」と同じです。ある量を超えないと放射線の影響は出てこないんだというのが、僕が習ったときもそうでした。大学で習ったのもそうでしたし、その当時の英語やドイツ語で書かれた教科書は全部それでした。日本語で書かれたものも当然そうです。

 とにかく、そういう経験をしながら、やっぱり茨城県と縁がありまして、常陸大宮で微量放射線の影響を実験的に証明するのを成功しました。しかも、植田さんたちが東海村の原発の近くや再処理工場の近くでやった実験では、ムラサキツユクサは明らかに突然変異率が周辺で上がるということを証明しています。東海村だけではありません。いちばん最初に1974年から行われた実験は、静岡県にある浜岡原発。次いで、その次の年から、島根県にある島根原発。それから福井県の高浜にある高浜原発。その次の年から同じ福井県の大飯にある大飯原発で始まって、その次の年から東海村でも始まったんですが、どこでやっても同じでした。

世界中でムラサキツユクサ実験

 僕は、70年の中頃にアメリカやヨーロッパでムラサキツユクサの実験結果についての説明、いろんな説明をやりました。大変な時は、飛行機で飛ぶのに要する時間も入れて2週間で17カ所とか16カ所。

 そういう講演をするうちに、やっぱりアメリカやヨーロッパでも実験する人が出てきまして、まずアメリカのオレゴン州にある原発、トロージャンという原発ですが、そこで日本と同じ明確な結果が出ました。それから、その次の年に当時の西ドイツのウンターベッセルというところでも同じ結果が得られました。

 そういうことで今度はアメリカの、その当時はEPAといって環境保護局だったんですが、今は省に上がってますが、そこの招待で1980年にアメリカで招待講演をして、それ以来外国では少なくとも放射線の「しきい値説」を取る人はいなくなりました。学問上もいなくなったし、法律上もなくなっています。ところが、日本だけはまだ「しきい値説」なんです、法律上も。これだけの危険度を見積らなければいけないというのが国際的な委員会で出てても、日本の法律は変わっていません。

埼玉大学へ赴任して 

 そういう状況のなかで、こういう事故が起こってしまって、また茨城県とご縁ができてしまうことになりました。

 僕は1978年に埼玉大学に新しい学科を作るために移って来ました。また、埼玉大学には、まだ大学院が修士課程までしかなかったんで、博士課程を作るために埼玉に移って来たんです。博士課程もできたし、いろんな学生もたくさん入って来て、優秀な学生が来て、いろんな研究ができましたが、それからも茨城県の、東海村はもう使わなくなりましたが、大宮のガンマフィールドを使って学生達がいろんな実験をやりました。それで次々といろんな証明をしました。

 例えば核爆発が起こり、放射能が飛び出して、その放射能が落ちてくる。ところが、その放射能には半減期という寿命がある。それぞれの放射性核種の種類によって寿命が違います。例えば、チェルノブイリ事故のあと日本にも降ってきたヨウ素131というのは、8.06日経つと放射能が半分に減ります。また、 8.06日経つとその半分、つまり4分の1、それから8分の1、16分の1と減っていくんですが、同じヨウ素、放射性ヨウ素でも、ヨウ素129という、数字が2つ小さいのは、1700万年経たないと放射能は半分になりません。1700万年って、人類が現れてから何倍もの年月が経つまでかかる。

 そういうふうに、核分裂の結果としてできるもののなかには、非常に長寿命のも短寿命のもあるんですが、そういう寿命に合わせて被曝が減っていったら、どういう結果がでるだろうか。あるいは逆に、降下する放射能の量が増えていった時にどうなるだろうか。それをシミュレーションする実験をガンマフィールドで何度もくり返しまして、汚染量が増えたり減っていったりした時に、ムラサキツユクサの反応はどうなるかというのを調べ、シミュレーションの理論と、実際に一致するということも証明しました。

JCOの事故を知らされて

 とにかく、こういうことで縁があったんですが、このJCOの事故が起こった時に、まず驚いたのは、それが起こってしまったということに驚いたんですが、それを知ったのはどういうことかといいますと、ある新聞社の記者が私の研究室に電話をかけてきました。当日の午後です。比較的早い時間にかけてきました。そして、水戸局に勤めていた記者ですが、今、東海村に飛んでいったら、工場の近くの人が、建物の中の2階の窓から青い光が見えたと、つまり青い光が出ていたと言ったという。それは女性の記者なんですが、その人に僕は「それは臨界事故だ、それしかない」と言いました。
つまり、ウランの核分裂が連続して起こるようになると青い光が出るんです。だから、その新聞社だけは、その日の夕刊に「臨界事故」と書きました。他の新聞社は、放射能漏れだとか、爆発事故だとか、間違った見出ししかつけていませんでした。翌朝の朝刊からは、どの新聞も臨界事故になりましたが。

 とにかく、その記者も僕のところになぜ電話をかけてきたかというのは、その人が浦和支局に勤めてた時に、僕の放射線生物学という講義に興味を持って、聴講生で来てたんです。それで最初に僕の名前を思い出して、大学にかけて僕の研究室の番号を内線電話につないでもらって僕が初めに聞いたんです。

チェルノブイリ事故でも

 同じことはチェルノブイリ事故の時も起こってます。報道機関等が、あるいは政府自身が、そういうチェルノブイリ事故が起こったという情報を外交筋を通じて知る前に、私は、チェルノブイリとはまだ特定できませんでしたが、とんでもない大事故が起こったと知りました。それは、ストックホルムにあるスウェーデンの国営放送。僕はスウェーデンの国営放送で、放射線の影響とか危険とか、そういうことを何度かお話してます。スウェーデンで国際会議に行ってお話したこともあり、国営テレビにも出演したことがあるんですが、それで思い出して。

 それともうひとつ、隣のフィンランドのヘルシンキで原子力をめぐる公開聴聞会があった時に、そこで私はお話をしてます。その時は隣の国のフィンランドから、スウェーデンの国営放送はスウェーデン全土に放送してましたから。そういうこともあって私のところにかけてきたんです。

 放射性ヨウ素がどんどん検出されていると言うのです。放射線レベルがどんどん高くなっていると。僕は、すぐに風向きはどっちだと聞いたんです。南東から風が吹いているという答えだったんです。そうすると、スウェーデンのストックホルムから見て南東の方向というのは、ポーランドだとか、あるいは今のベラルーシぐらいが、そういう方向が南東にあたりますから、そっちで起こった原子炉事故としか考えられないということを言いました。だから、スウェーデンの国営放送は、そのとおり僕の英語で話したのをスウェーデン語に訳して放送して、テープも送ってくれました。

壁をつらぬく中性子

 新聞社とか、それらが知る前に僕が知ってしまったというのは、その時に次いで今回2度目だったんです。とにかく、そういうことが起こりますと、何がまず飛び出してくるかといったら、高エネルギーの速中性子がどんどん出てきます、核分裂によって。それはコンクリートの壁だとか、そんなものは簡単に貫きます。なぜかというと、名前のとおり「中性」子といって、プラスの電気も、マイナスの電気も帯びてないから中性。中性子とは、そういう粒子なんですけども、それは、いろいろなものを貫いて小さな粒子が飛び出していくわけです。

 だから、あの建物の壁ぐらいではほとんど何の障害にもならなくて、そのままどんどん飛び出します。しかも事故が起こったときに、あそこの施設では普通の測定器、ガンマ線を測定するガイガーカウンターで測定しようとしましたが、ほとんどかかりません。中性子は通常の計数器では測定できませんから。だから、ある意味では安心したというか、すぐには非常事態体制をとろうという手はずをしなかった。ただし、作業をしていた3人は酷い状態になっているんで救急車を呼んで搬送した。ところが、放射能で汚染されているということを一切言ってませんから、消防士も被曝しましたし、それにあたった人も被曝した。臨界になって中性子が出てるということをすぐには気がつかなかったわけです。中性子の測定は原研とか、そういう原子炉を持ってるところしかなかったんです。JCOは本来はそれを備えるべきだったのに、それがなかったために、中性子を測定しなかった。

 

講演録(3)

測定が遅れた中性子

 そして、臨界状態が20時間続いて、たくさんの作業員の決死で、相当の被曝を受けながらも作業をして、臨界状態が止まったのは20時間後でした。そのために作業所にいた人、近所の家にも中性子が届いてますから、最初350メートル以内ということにしましたけども、350メートル以内の避難とか、そういうことをさせたのは、だいぶ時間が経ってからです。その間、ずっと現場でみんな被曝を受け続けさせられたわけです。

 そして、原研から中性子の測定器を持ってきて測定し始めたのは、もう臨界事故が終わりに近いころです。だから今、被曝した線量の推定をしてるのも、初期の時の状態がわかってないもんだから、初めのうちはこれくらいと言っていたのが、いやいやもっと少ないと言ってみたり、そういう言いかえをする根拠になっているわけです。確たるデータがないからです。
さっき言ったように、青い光を知らせてくれた記者も被曝者になりました。何も防御なしでそばまで行ったわけですから。ただし、そこに住んでる人から比べたら滞在した時間はずっと短かかった。とにかく、そういうことであれだけ多数の660人を超す人たちが、今、当局の方がそういう対象とする数としてるのが、それだけになってるんですが、それも今度また基準を上げて減らそうとしている動きが強いんです。

 とにかく、あれだけの事故が起こったし、極めて顕著な、きつい急性障害を出した人が3人、実際作業をしてた人で、そのうち2人が亡くなってしまった。そういう事故に至ったわけです。

中性子被曝とは

 それで、いちばんの問題は、主たる被曝が中性子だということです。被曝量の圧倒的大部分が中性子被曝でした。先ほど言ったように、中性子は貫通性が強くて、プラスもマイナスも電荷を持ってませんから、直進性が強くてまっすぐ飛びます。ところが、我々の体に入りますと、どういうことが起こるかといいますと、中性子というのは、陽子とともに原子核を構成していますが、陽子と中性子は同じ大きさなんです。重さも同じです。厳密にはわずかに違うんですけども。しかし、陽子というのはプラスの電気を持っています。中性子は電気を持っていない。

 我々の体の中の元素のなかで圧倒的に多いのは水素です。だいたい体の8割ぐらいが水分でしょ。水というのはH20でしょ。水素原子2つと酸素原子が1つ。それから炭水化物、例えばブドウ糖はC6H12O6と、Hが一番多く入ってるでしょ。それは炭水化物全部そうです。単糖類のブドウ糖でも、多糖類といって糖がたくさんついてるでん粉、それがみんな基本でできてますから。たくさん水素を持ってます。脂肪もそうです。ただ、タンパク質ももちろんたくさん水素を持ってるんですが、タンパク質には他に窒素が入ってるわけです。

 とにかく、体の中で分子を作っている原子核として圧倒的に多いのは水素なんです。その水素の原子核は陽子1個です。さっきも言ったように、陽子と中性子は同じ重さ、同じ大きさですから、中性子が飛んできて、体の中に入ってくると、圧倒的に多い水素の原子核とぶつかるわけです。そしたら、同じ大きさですから、そのスピードで水素の陽子を追い出すんです。そういうのを弾性衝突といいまして、物理的にボンとぶつかって跳ね飛ぶということです。それで水素から陽子を追い出してしまうんです。

 追い出された陽子は中性子の速度が速いほど高い運動エネルギーを得るんです。そして、エネルギーは得るけども、陽子はプラスの電気を持ってますから、体の中のいろんな分子が持ってるマイナスの電子と、プラスとマイナスでくっつこうとするわけです。そのくっつこうとする力でどんどんスピードがゆるめられるので、追い出された陽子は早いスピードで出たものでも、せいぜい数十ミクロンぐらいしか飛ばないんです。そこで止まっちゃうんです。もっともっと何度も衝突を繰り返して、エネルギーが弱ってスピードが遅くなってる中性子が飛び込んで陽子を追い出しますと、その陽子はより小さいエネルギーしかもらえませんから、はじめから遠くへ飛べない。だから簡単に、さっきも言ったようにプラスとマイナスの電気作用で電気ブレーキがかかって止まっちゃう。そういう時には、ほんとに何ミクロンしか飛ばない。

低エネルギーの中性子の影響

 結局は中性子が陽子にかわって、その陽子が走った距離のその周囲だけに大きな放射線のエネルギーを集中的に与えます。中性子の方は、だんだん速度を失って、だんだん運動のエネルギーが小さくなりますが、そのため、あとから追い出された陽子ほど高い密度で放射線のエネルギーを与えてしまうことがあります。陽子線のエネルギーを。

 ここで大事なことは、粒子線といって、粒状のものが放射線である場合には、運動のエネルギーが小さくなればなるほど、放射線として体の細胞や組織に吸収されるエネルギーは大きくなる。なぜかというと、エネルギーが小さいほど短い距離しか飛びませんから、放射線のエネルギーがその短い間に集中的に与えることになり、その放射線の密度は大きくなります。だから、あとでまた触れますが、中性子の実験をやりますと、低エネルギーの、運動エネルギーを失った中性子ほど生物効果は大きくなります。

 とにかく、そういうことで中性子被曝というのは非常に深刻な問題を持っているということを理解してください。普通にレントゲンを受けた時に、エックス線も貫通力が強いからレントゲン撮影に使うわけですが、それは電磁波という放射線で、所々でイオン化を起こして、そこにエネルギーを与えるんです。ところが中性子は、今言ったように、いろんな原子や分子と衝突しながら、速度をどんどん落としながら、落とせば落とすほど短いところでまたぶつかって速度が衰えて。そういうことを繰り返しますから、中性子が体の中に入ってきますと、比較的短い距離の間にエネルギーが集中的に吸収されて放射線効果が大きくなるという、そういう中性子被曝の特質を持ってます。

 エックス線の場合ですと、ある量を外から受けますと体のいろんなところが受けるエネルギー量がほぼ均一に、しかもぽつんぽつんと所々に確率論的に吸収されるだけで、集中的な被曝が起こることはありません。ところが、アルファー線(陽子2つと中性子2つの粒子で、ヘリウムの原子核と同じ)もそうなんですが、これも生物効果が大きくなるのは同じことなんです。

建物から漏れ出た放射能

 そういうことで中性子被曝というのが、今現実に起こっているんだということを僕は知ったわけですが、臨界状態になったことが、どういう過程で起こったかということは電話を受けた時点では知るよしもなかったのです。あそこでやってるのは、いろんなところから注文されている核燃料棒に入れる核物資を製造してるわけです。ところが、後で分ったことは、もっと濃度の高い、特別な原子炉に入れるのを製造してて、それを許可を得た方法ではなく、しかも時間が迫られてたからバケツでもって入れるという粗暴なこともやっていたことだったのです。

 電話で聞いた時は何が起こったかのか具体的には何もわかりません。ただ、わかったことは臨界状態になって核分裂がどんどん続いているということ。したがって中性子がどんどん飛び出しているということです。それから、核分裂も起こってるわけですから、原子炉の中でウランの核分裂によって、いろんな、自然界には存在しない人工の放射性核種、核分裂生成物ともいうんですが、いろんなものが出ています。それはガンマ線とベータ線を出すとか、ベータ線とアルファ線を出すとか、そういう性質を持ってますが、中性子ほど遠いとこまで届きませんから、壁が十分厚ければ透過力のあるガンマ線でもそれで遮られて、あまり外には出ない。

 ところが、そこのなかの空気が、例えばケガをした作業者を運び出すためとか、中性子には役に立たないガイガー計数器でまわりの放射線を調べようとした時、慌てて出入りした際に、中でできてた放射性核種も外に出たはずです。ただし、その場合、あの日は一定の風の方向がありまして、僕は忘れてしまいましたけども、一定の風の方向があって、建物内から漏れ出た放射能は間違いなく風下にしか行きません。中性子のように、風に関係なしに、あらゆる方向に、地面の方向にも真上にも、東西南北どこへでも飛ぶ中性子とは違います。

時期外れの落ち葉

 それから数日たった時、民放テレビの記者から電話がかかってきたんです。事件当日の風下の方の桜の葉や、他の落葉樹の葉がどんどん落ちてると。何でそんなに葉っぱが落ちるのか、まだ紅葉して落葉する時期でもないのにと。僕はすぐに言ったんです。中性子というのは、さっき言ったような働き方をしますから、葉の茎(葉柄)のような細いところに中性子が飛び込みますと、そこに集中被曝を与えますから、葉柄の組織が壊されて青いまま落ちちゃうんです。葉っぱには穴があくだけなんですが、葉柄のところにあたりますと落ちる。だから、それも速中性子が飛びかってた証拠だが、速中性子は風下だけに行くんじゃないと言いました。それで次の日、僕もつき合って現場を見に行ったんですが、案の定、風下とは関係なしに近いところほど葉っぱがいっぱい落ちててました。これは風の方向とは無関係に起こる事象ですから。素人考えすると、これは「放射能」だと思ってるから、風下だけで起こったと思ってるんだけど、さっき言ったように核分裂の結果、建物の中でできた放射能が飛び散っていることと、中性子が貫通して出ていくこととは全く違う現象だし、したがって生物に与える影響も全く違ったわけです。

大宮ガンマフィールドで白血病患者 

 中性子の事故というのは、そういう特殊な性質を持ってることをお話しましたが、僕たちは、低線量被曝だけじゃなくて、放射線の種類によってどれだけ生物効果が違うのか、同じ放射線、中性子なら中性子でもエネルギーの大きさによって、どれだけ生物効果が違うかという研究をずっと続けてきました。 

 また、一番最初にお話したように、アメリカのブルックヘブン国立研究所で、エックス線と速中性子の低レベル被曝が突然変異に関してはしきい値は全くなくて、どんなに小さくてもそれに比例して起こるんだということを実験的に証明して、それが公表禁止になったから、常陸大宮のガンマフィールドで実験的証明を繰り返したということを言いました。それは限られた放射線だけの現象なのか、他の放射線でもそうなのかということを調べなきゃいけません。 

 そのうち、ガンマ線というのは、どんな現象を起こすかという問題が起きました。ガンマフィールドは、直径200メートルの中心、円の中心半径100メートルのところにコバルト60の線源をおいて、そこから圃場の中にガンマ線を飛ばして作物に当て、それで突然変異が起こって、その中で農業で有用な突然変異が起こらないかを狙ったものでした。そういうことで巨費をかけて作った圃場だったんです。 

 ところが、あそこの圃場の近くの人で、大宮の人たちが、トラクターの運転手だとか、草取りだとか、いろんなことで圃場で働いてた人が、2人続けて白血病にかかって、結局2人とも亡くなるという、そういうことが起こったわけですよ。 

 その人たちはガンマフィールドの中にいつも入ってるんじゃなくて、入る朝の8時から12時だけは、コバルト60線源を、上にある鉛の容器に入れてしまって、それでガンマ線が出ない仕組みにしてあるんです。しかもガンマフィールドの周りには200メートル直径、高さ8メートルの土手が築かれていまして、その土手の土の厚さは、ガンマ線はとうてい貫かないという設計になっているわけです。 

散乱放射線の影響 

 ところが、ガンマ線というのはコンプトン効果という、コンプトンという学者が発見したことが起こります。空気中には酸素分子もありますし、二酸化炭素の分子もある。もちろん窒素分子もありますね。そういういろんな分子にガンマ線があたりますと、その分子から電子を追い出します。それは電離化といいますが、その電離のために、電子が飛び出していくエネルギーとして与えてしまった分だけガンマ線のエネルギーが弱くなります。 

 しかもガンマ線とかエックス線という電磁波は、波と書くように波長を持ってるわけです。波長が短いほどエネルギーが高いんです。逆に、エネルギーを失うと波長が長くなってくるんです。いろんな分子から電子を追い出します。原子でもいいですよ。だけど原子で自然界に存在するのはごくわずかで、普通は何らかの分子の状態です。そこから電子を追い出しますと、それで運動エネルギーを奪われて、より長い波長になる。 

 それまでの考え方では、その長い波長になった低エネルギーの放射線は散乱放射線と呼ばれて、散乱放射線ではエネルギーが弱いから生物効果は弱いと考えられていました。コバルト60線源からは、ある高さより上には、直接のガンマ線はいかないように設計されてますから、8メートルの土手は越さないことになってます。だけど下向きになったガンマ線も、もちろん空気があるわけですから、それにあたる。土にあたる。あるいは作物にあたる。そこで、いろんな分子と反応してコンプトン効果で、より波長の長いエネルギーの散乱放射線としていろんな方向に飛んでいきます。それが、また他の分子とあたって弱いエネルギーになって、土手のより高い位置から、今度は土手の外側にももっと弱いエネルギーで飛んでいきます。 

ムラサキツユクサで散乱放射線を調査

  その当時は、そういうことが起こることや、低エネルギーの散乱放射線はほとんど問題にならないと考えられていました。だから、どこのエックス線照射室の壁の構造も、分厚くしたり、何回か直角に曲げて直接のエックス線が漏れないようにしていた。 

 それで、いろんな方向に散乱放射線が出て、こっちの壁に、あっちの壁に、何度もあたってくる。入口の鉄のドアにきた時には、ものすごくエネルギーは弱ってるから、もう問題ないだろうということで、鉄の扉の厚さもそんなに分厚くなかったんです。昔はそう考えられていたんです。 
ところが、そのお2人が白血病にかかられた当時、僕が京大で物理を習った先生で、物理学者だけど静岡県の三島の国立遺伝学研究所のアイソトープ室長をやっておられた近藤宗平という先生がおられた。後に、そこから阪大の大阪大学医学部の基礎医学研究室の教授になられました。定年になられたあとは、大阪の南の方にある近畿大学の原子力研究所所長になられました。その方と私に調査依頼がきました。その時まだ農林省だったんですが、農林省のほうから調査依頼がきました。 

 僕に頼まれたのが、ムラサキツユクサを使って、散乱放射線しか届かない高いところ、つまり直接ガンマ線が届いてないところ、それから周囲の土手の上、そのお2人を含む一般の人が作業をしているところ、つまり安全とされたところ、そこには対照区として放射線をあててない作物も植えてあったわけですが、そういうところで行う調査でした。微量な放射線の影響でも検出することわかってましたから、ムラサキツユクサを置いて、調べてくれと言う。 

 近藤先生には、ガラス線量計というのを開発してもらいました。普通のガイガーカウンターとかでは、その瞬時瞬時の放射線量は測ることができますけど、何時間、何日間、何ヶ月間、何年間置いといて、総被曝がどうなるかという、総被曝線量、集積線量を測る機械は何もなかったんです。それで、ガラスの中に特別のいろんな化合物を入れて、いろいろ試しながら、近藤先生もエックス線を当てながら、これだけ当てたら、こんな色がでる。これだけ当てれば、こんだけでるという測定をしてくれました。それと、実際の生物効果と合うかどうかということで、近藤先生が開発されたガラス線量計というのを僕のムラサキツユクサに付けておいて、ムラサキツユクサに当てると同時に、そのガラス線量計にも線量を当てておくと、そういうことをやりました。 

 ガラス線量計はそれでもまだ大きくて、8ミリ立方ぐらいあったんです。細い植物なんかにつけたら重くて折れちゃうぐらいなんですが、そういうのを使ってやったんですが、その当時はそれしかなかったもんですから、針にさした竹柱につけたガラス線量計で測りました。そしたら、ムラサキツユクサのそばの竹柱にガラス線量計をつけておいて測った線量と、ムラサキツユクサの突然変異率は、きれいに一致しました。 

無力だった原子力施設の安全構造

 ガンマフィールド内でたくさんのガンマ線が出ていて、しかもその線量と突然変異の頻度の関係から、はじめは圃場内でできてる散乱放射線は、結構エネルギーが大きいんでわからなかったのですが、外まで遠くまで飛んでくようなのは、何度も衝突をしてコンプトン効果というのをやってエネルギーを落としてますから、ものすごくエネルギーが小さくなってる。そうしたエネルギーが小さくなってる散乱放射線ほど生物効果が高いということをその調査で証明したわけです。 

 ですから、それまでの原子力施設の安全構造といわれてるものが無力であるということを証明したんです。その後、政府の方もアイソトープ施設とか、そういう施設には迷路状にしただけの構造ではダメだと。散乱放射線が絶対外に漏れないような構造にしないと駄目だということに変わっていきました。それが2番目の発見です。 

 


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