動画はこちら⇒ http://bit.ly/1hZ9qo4
動画は8:50辺りから紹介、スピーチ
福島県いわき市からの避難者、中学生の塚本さんのスピーチ
震災の時、私は小学4年生でした。毎週100キロ離れた ピアノ教室まで習いに行き、帰りにイオンモールでゲームをするのが楽しみでした。
父、母、兄がいて、それなりの楽しい生活が3年前の震災で終わってしまいました。
今、私は母と兄3人で、国が認めない放射能汚染から逃れて北九州にいます。
福島からの避難を許してもらえなかったので、母は父と離婚同様です。この3年間私は父と話をしてません。
今でも震災が夢のようです。土壌汚染は確かにあるのに、みんな福島で暮らしています。
私たちもお金がなくなったら、どんなに土壌汚染や、焼却での大気汚染があっても福島に戻る時がきます。
戸籍上、母子家庭ではないので、公営住宅に入ることもできません。
あんなに大変な爆発があったのに、みんな忘れて原発を動かそうとか、放射性物質を燃やしたり埋めたりしています。
また、私たちは震災を経験し、福島原発の当時の所長が死んだことをニュースで見て知っているのに 反省もせず、生活そのものを見直すこともなく、
原発でなければいいだろうと、太陽光や風車などの代替エネルギーを求めています。
あの爆発で、人が住んでいる場所でのエネルギー産業はマズイということが 大人はわからないのでしょうか?
日本には、54基の原発、爆発事故によって今は、1700基以上ある 全ての焼却炉、バイオマス発電、製紙工場、セメント工場から 放射性物質を含んだPMが日本から出ています。
あの時の爆発で目の覚めなかった人がたくさんいてビックリしてます。
私たちの未来を救ってくれるのは、大人だと思ってましたが、無理かもしれません。
今でもたまに思い出します。
2回目の爆発のあと、母とさいたまへ避難しました。母は「日本はチェルノブイリになったかもしれない」
「もう帰って来れないかもしれない」と言っているのを聞いて、私は怖くなりました。
「全部、全部、夢ならいいのに」と言いながら車に乗って避難しました。
今はあの時より怖いです。
全部なかったことになってしまった、この現実が怖いです。
(管理人より)
3月には大規模な震災関連、脱原発の復興イベントが全国各地で行われています。
さて、本当の避難者の声は私たち国民に届いているでしょうか?
大イベントに集う「自然エネルギー推進=脱原発」という市民は、催眠術にでもかけられているようです。
しかも「避難者」と言っても一括りにはできないのだということが、この3年間でよくわかりました。自主避難者の中にはいろいろな人がいます。自然エネルギー関連の利害関係、引っ越した先でお世話になったなどのしがらみがある避難者の人もいて、健康被害の実態、本当の事=被災地での行政のおこなった真実、を具体的に話せる勇気のある人はほとんどいません。
塚本さんの体験からくる勇気の訴えを、私たちは本気で聞くことが重要だと私は思います。