地球温暖化CO2原因説の嘘
(管理人より) 原発事故後、放射能の危険性を理解し、被曝を回避しようと心がけるようになった若いお母さんたちの中にも、いまだにCO2地球温暖化を信じて「シロクマが~ペンギンが~」という人がいました。ネット環境にあるにも関わらず、この温暖化問題に関してはテレビでしか情報を得ていないし、それが正しいという前提でしかものを考えていません。疑ってもいません。
役所にも地球温暖化対策課などがあり、学校教育でもそれが正しいと教えられ、テストでもそう答えなければ✖になるので子供にもそう教えます。周囲でその間違いを指摘する人は誰もいないのです。
近藤邦明さんのように高校の理科に関して声を上げる人もほぼいないでしょう。(※地球温暖化の嘘を指摘した元高校の先生を一人だけ知っています)
高校教育における環境問題の取扱いを検証する・・・ より一部引用(青文字)環境問題はまだ若い分野であり、現在も多くの問題で論争が継続中ですが、そればかりではなく、社会的な利権と強く結びついています。その中で国家や企業にとって都合の良い理論を、判断能力の未熟な生徒に対して、疑いを持つことなく信じさせるために敢えて科学的な論証を省いて刷り込んでいるというのが実態です。
実際には多くの環境問題は初等中等教育の科学知識で十分に判断可能な問題です。それを悪質な研究者たちが巨大コンピュータを用いた計算機科学という似非科学によって素人には判断できないような高度な問題のように見せかけ、企業と結託して莫大な国家予算を貪っているのが現実です。
私自身も主婦だからわかるのですが、そういった母親というのは自分が「科学に疎い」という自覚があるため、「難しいことは専門家にお任せすればいい」というメンタリテイに陥りがちなのです。
原発事故後に「えらいおじさま達にまかせておけばいいのよ」という言葉を主婦(旧帝大理系学部出身者)から実際に聞いたときは、流石に驚きました。
中・高レベルの理科の基礎知識があれば「これはおかしい」と気づくようなことでも、実際には思考停止し、メディアが垂れ流すニュースや番組の方を盲信するという特徴があります。
買い物情報を得るのと同じ感覚でテレビから科学に関する情報を得ているわけです。シロクマが溺れたり氷河が崩れ落ちたりする映像だけがどんどん刷り込まれていきます。主婦がエコ機器に騙されるのも無理はありません。
CO2地球温暖化が仮説だということもIPCCもクライメートゲート事件も何も知らなくても、生活が成り立ってしまっているので、疑いもしないし調べようともしないのです。
そこでおすすめしたいのがこちらの動画です。
2007年12月27日 渡辺正(東京大学生産技術研究所 副所長) 地球温暖化の真相とは
「CO2地球温暖化」は事実ではないし、エコキュートなどのエコ機器は、温暖化の「虚構」の上で行われているビジネスだということです。
温暖化防止を口実にしたエネルギー政策は全て利権であり、再エネも原発も同じ利権構造だということがわかります。
温暖化を前提に「原発VS再エネ」という”偽”の対立軸を作っておくことで原発利権も再エネ利権も安泰。 利権はずっと維持できるというわけです。
原子力ムラに再エネを通じて国費が流れ込む仕組みを作っておけば、いくら市民が騒ごうが原発は安泰です。
「温暖化で異常気象になって種が絶滅していいのか!」とメディアを通じて権威を使って上から目線で市民を脅せば、自然科学の基礎知識がない市民は黙るでしょう。
無知な市民が馬鹿にされているのです。再エネも原発も不要だということに気づけないし、温暖化政策が国費、化石燃料、鉱物資源の浪費になることも気づけないからです。
「CO2地球温暖化」という大きな嘘がベースになって、嘘の上に嘘が成り立っている世界・・・
ε=(・д・`*)ハァ…
続・Climategate 事件 ── 崩れゆく IPCC の温暖化神話
ここで2005年に書かれた近藤さんのブログより引用します。(太字管理人強調)
(引用ここから)
No.182 (2005/10/11)地域環境問題への回帰のススメ最近の環境問題論議は、二酸化炭素地球温暖化『問題』をはじめとする、『地球環境問題』が中心的な話題になっています。産業界や国家は地球環境問題を中心的に取り上げることによって、私たちの身近にある環境問題から目をそらし、地球規模の環境問題こそ重要なのだという雰囲気を醸成することに成功しているようです。
こうした雰囲気は、環境問題とは一部『専門家』以外には判断のつかない問題であり、大衆はこれに従うしかないという、半ばあきらめに似た状況を環境保護運動にもたらしています。これに乗じて御用学者は、企業や国家にとって都合の良い嘘で塗り固めた情報を大量にばら撒き、環境問題の責任の所在を曖昧にし、こともあろうに環境問題を新たな商売の種にしているのです。
愚かな環境保護運動の一部には、まんまとこの戦略に陥り、例えば原発反対運動の一部は風力発電や太陽光発電導入促進のお先棒を担ぐ運動にすりかえられてしまっています。
たとえ地球規模の環境問題と言えども、それは地域的な環境問題の積み重ねの総体なのです。環境問題の本質的な構造を理解した上で、現実社会で生活している私たちは身近な環境問題にこそ立ち向かっていくべきです。諫早湾干拓事業、大入島埋立、川辺川ダム、玄海原発プルサーマル計画などなど・・・。
最後に、先日槌田敦氏からいただいた私信の一部を紹介しておきます。
(前略)最近、二つの公害事件が話題になっています。水俣とアスベストです。水俣は公害健康被害保障法で救済されることになったものの、77年に決めた認定基準で当局は裁判を無視してやりたい放題です。一方、アスベストは、1980年代に一旦は深刻な話題になったものの、放置されてしまいました。
その原因は、国民運動が、80年代の「公害から環境へ」という標語に見られるように、公害(地域環境)は終わった。さあ地球環境だ、とばかりに人々の関心が誘導されてしまったのでした。地域環境問題では、人々はその本質を被害状況から知ることができます。しかし、地球環境は専門家しか分からない問題ですから、専門家のウソを信ずることになってしまうのです。
当局の誘導に乗せられてうまくすり替えられ、当局の責任を見逃すことになり、公害の被害は拡大するばかりです。「公害を忘れるな」を合言葉として、地球環境から地域環境へふたたび運動を取り戻したいものです。
(引用終わり)
これを読むと、今私たち市民が陥っている問題がよくわかります。
自分の身近な公害事業の地域の現実から目を背けさせられ、やれイベントだ大集会だデモだと動員されてしまいました。
温暖化が正しいという前提の環境NPOや市民グループのリーダーの言いなりになって行動するようになっていました。
いまだにその呪縛から抜け出さない、抜け出せない人もいます。
企業も政党も、CO2地球温暖化は誤りだと主張するところがないのが絶望ですが、諦めずに公害問題を市民の立場で学び、公害事業に立ち向かわなければ未来はありません。
命と環境を本当に守っていくには、やはり自分が主体的に学習するしかないのだなと思います。